特集:CLILを展望する:③「CLILと英語を話す不安*」

2020.04.06

 

柳川浩三(法政大学准教授)

1. 勘違い
 私が英語で英語の授業をするようになったのは, 当時セルハイ校に指定されていた神奈川県立大和西高校に異動した2008年からである。大和西高校のセルハイ指定が終わった翌年, 私は母校の小田原高校に異動になる。嬉しかったのも、つかの間, 私の英語による英語の授業を拒否する生徒たちが出てくるのに2か月もかからなかった。担当した2年生の主要科目の『英語II 』(現,『英語コミュニケーションII』) の授業は彼らが入試を意識し始める10月ぐらいになると36人の教室で10人くらい欠席の時もあった。私は, その頃すでに教室に入るのが憂鬱になっていた。母校は単位制を敷いていたので, 英語IIの単位を修得しなくても彼らは卒業できるのである。年度途中の10月に今さら授業形態を変える勇気はなかったし, 変えれば余計に生徒からの信用を失うのが怖かった。結局, 変えないでそのまま3月まで押し通したが, 最後の授業は15人もいただろうか。東日本大震災が起きたのはそれから数日後のことである。

 後になって当たり前のことに気づいた。多くの生徒が大学を目指す高校で, 英語で英語の授業を行う以上は 入念な入試問題研究, 実際の指導スキル, そして十二分な英語力が担保されていなければならない。私にはどれもなかった。あるのは, セルハイ校から来た英語教師という勘違いと, 卒業生(先輩)であるという傲慢さだけであった。その内, 「私はこの学校に必要とされていない」と嘯き,母校をわずか1年で去ることになる。

 翌年, 私は高校教師を辞し、縁あって新設の法政大学理工学部創生科学科へ移った。大学へ移ってから9年, 場所は変わっても相変わらず英語で英語の授業を続けている。母校の後輩たちへの懺悔というよりは, 自分自身がもう一度やり直したいという気持ちに駆られているのはよくわかっている。本稿では, global issueを扱うCLIL授業を借りて, 私なりの英語による英語の授業の一つの回答を出しておきたい。その回答が, 少しでも読者への反面教師になればと思うからである。


2英語を話すのは誰か

 正直, 私の英語力程度で多岐に渡るglobal issueを英語で解説することなどできはしない。いや, 私はそれを日本語でも出来ない。私は国際政治や開発経済の専門家でもないしglobal issueの専門家でもない。では, 日本語でも英語でも解説出来ない授業を一体どのように行うのか。実は, ここに英語で英語の授業をする際のエッセンスがある。つまり, 英語を話すのは教師なのではなく, 生徒や学生であるという発想の転換である。教師は, 彼らがglobal issueについて話をしたくなる, 或いは話さなければならない仕掛けや雰囲気を教室内で作ることに頭を使う。英語による英語の授業の抜け道(?) はここにあるし, 本質もここにある。


3 英語しか使ってはいけないのか

 ところで, 日本人英語教師が英語で英語の授業をする意味はどこにあるのだろうか。第一に, 教師の発話が生徒・学生にとってのinputになる。例えば, particularという単語は実際に使ってみないとその語感がなかなか湧かない。でも, Next week, bring a photo on a particular global issue that interests youと指示すると, 生徒や学生はparticularの語感が掴める。particular = 「特に」「特定の」と訳してみただけでは, particularは使えるようにはならない。教師が英語で英語の授業をするもう一つの理由は, 教室内で学習者が英語を使おうとする雰囲気作りをするためである。学生に英語を話させるためには, やはり日本人英語教師自らが英語を話すことが欠かせない。ネイティブスピーカーではロールモデルに成り得ないのである (和泉, 2009)。

 では, 日本語を全く使ってはいけないのか。授業全体の目的やタスクの意図,或いは成績や試験に関わる大切なことを生徒や学生に日本語で伝えることは悪いことではない。しかし,教師が英語でやったほうがいいところや英語でやるべき部分までをも, 日本語で済ましてしまう場合がある。そうなると, こちら側の緊張感も生徒・学生側の緊張感も緩み, 英語による英語の授業は失敗する。

 英語で伝えるべきか日本語で伝えるべきか,私がよく悩むのはスピーチやプレゼン後のコメントや, 最後の授業の締めの言葉である。その際の判断基準はどちらの方が彼らに伝わるかである。必ずしも日本語の方が伝わるということでもない。苦労して英語でプレゼンをした彼ら自身の気持ちの中に, 教師からも英語でコメントが欲しいという思いを感じることがある。また, 教師だけが日本語でコメントを返すことが果たして彼らにフェアなのかという逡巡もある。他方, 英語で複数の生徒・学生に対して過不足なく時間内に建設的なコメントを返すのは容易ではない。言い足りない部分が出たり, 伝わりきれない部分が出たりする。そういういろいろなことを考えて, 英語か日本語かを決めている。


4向き合う

 英語による英語の授業は生徒・学生と向き合う姿勢がないとうまくいかない。第一言語ではない外国語の英語で, 英語教師としてそれを使うのは半ば全人格的な行為であるからである。中には, 英語に堪能な帰国子女や留学生が混じっていて, 彼らの流暢でそれっぽい発音を聞くと, 臆病な私はビクッとしたりする。そうした生徒・学生の厳しい視線や評価に耐えるためには, 彼らと向き合うという姿勢がないと見透かされてしまう。その姿勢を自らに課すためにも, 私はよく, 教卓の前に出ていって丹田に力を込めて話をする。そうすることで, 自分の揺らぐ気持ちや姿勢を押し出さないと彼らに届かない気がするし, やっていけないと思うからである。

 生徒や学生と向き合うためには, ICTから離れてみるといい。人と人の間に機械を挟まないようにして, 生身の人間と人間が向き合うことを大切にしたい。かといって, 全くICTを使わないわけでは当然ない。優先すべきは, 場所と時間と目的を共有する人間同士が, 目と目を合わせ, 外国語を使ってどこまでコミュニケーションを図ることができるかにチャレンジさせることにある。ICTを使うと, 実は教師の視線も生徒や学生から離れがちである。誤解を恐れずに言えば,彼らの眼差しや期待から逃れるためにICTに逃げ場を求める教師もいる。私にも時々そういうことがある。しかし, 授業の半分以上の時間を授業者がパソコンの画面を見ていては, 英語による英語の授業はうまくいかない。だから, 私はパワーポイントやDVDの視聴覚教材でさえ年度当初は殆ど使わない。年度初めは, なるべく人と人が向かい合う場面作りを優先し, 素手で勝負したい。


5生徒・学生の教室での言語不安

  ここまで, 英語で英語の授業を行うには, (2)生徒・学生が教室で英語を使おうとする仕組みや雰囲気を作ること, (3)必ずしも授業のすべてを英語で行わなくても良いこと, そして, (4)教師が生徒や学生に向き合うことが大切であることを述べた。他方、生徒や学生は英語で行われる英語の授業でいったいどのような心理状態におかれ、それは授業を経てどのように変化するのであろうか。本稿では、心理状態のなかでも言語不安(Horwitz et al., 1986)を取り上げる。それが, 教室では授業の成否を左右する重要な要因の一つであると考えるからである。そして、実際に筆者が行った授業を例に、教室という閉ざされた空間にいる彼らの言語不安の変容を定量的に明らかにする。対象授業は、筆者が2019年秋学期に勤務校で行った1回100分、計14回のCLIL授業である。参加者は私立大学理系学部に在籍する大学3年生計40名(男子31名、女子9名)であった。彼らの英語熟達度はTOEIC IPテストで400点~550点であった。40名には米国からの帰国者が一名含まれていた。教科書は「Global Issues in Action」(Yanagawa & Johnson, 2021)を使った。


5.1 CLIL授業

 本実践では、全14回のCLIL授業を三つのラウンドに分けた。第1ラウンドは、学生の不安や緊張を和らげ,学生同士のラポート構築を援助しながらglobal issueを導入した。第2ラウンドでは、個別のglobal issueについて深く学習し理解と問題意識を深めた。第3ラウンドでは、即興のディベートと定期試験でアウトプットをさせ, 内容学習と言語学習のおさらいをした。表1にその授業をCLILの4Cに沿ってまとめた。認知(Cognition)の分類は認知活動を一つに特定することは困難なので、代表的な認知作用に絞った。

 

 

1ラウンド (9月~10)

 最初の授業5回分をあてた。ガイダンス及び事前アンケートに続いて2回目の授業から平易なトピックについてペアになって英語で対話をし, 第3回から本格的にglobal issuesを扱った。まず,写真を学生が見せながら自分の興味あるglobal issueについてパートナーに語った(Show & Tell)。第4回では、個人の悩みをパートナーに相談するタスクを通じて、英語で助言を求めたり、助言を与えられるようになることを意図した。第5回では, その基礎の上に立って、世界中で様々な困難を抱える人々の立場―例えば、パキスタンで酸攻撃に遭った女性の立場に立って、助けを求める又は助言を与えるタスクを課し、global issueを自分ごととして捉える機会とした。

2ラウンド(11月~12)

 第6回~第11回の授業6回分をあてた。そのうち、最初の4回をグループプレゼンテーションに、残り2回を教科書の章「Immigrants」と「Does Japan choose or is Japan chosen?」にあてた。グループプレゼンテーションでは、クラス40人を1グループ4人の計10グループに分け、ひとグループ8分程度(一人2分程度)でPPTを使って興味あるglobal issueについて発表させた。グループとして統一感のある発表ができるよう、4人の役割分担と話すべきポイントを示した教科書付属のワークシートを活用した。さらに、各プレゼンテーション終了後に、聞き手役の他の学生との質疑応答の時間を設けた。事前に作成した原稿を読み上げることの多いプレゼンテーションに加えて、即興でやり取りが行われる臨場感と緊張感が場を盛り上げると考えたからである。フロアから質問が出やすいよう、フロアではグループ毎に着席させ、プレゼン終了後3分ほどの時間をとってグループ内で質問を用意させた。一方、教科書は教科書通りに進めた。
3ラウンド (12月~1)

 第12回~14回の3回分の授業をあてた。シリアスな話題の続いた第2ラウンドの緊張を和らげるために、第12回は教師自身が経験した面白い話を口頭で聞かせ、それをペアで再話させた後、学生自身が経験または見聞きした面白い話をパートナーに語り伝えるタスクを行った。第13回はこの授業で扱ったトピック―例えば日本政府はもっと移民を受け入れるべきかどうか―を簡易ディベートのトピックとすることで、内容学習と言語学習のおさらいを行った。その際、教科書収録のモデルスピーチの定型表現を音読させて学生が使えるように配慮した。第14回は筆記試験と事後アンケートを行った。出題内容・形式とも授業を反映するよう、global issueについての自己の考えや経験を問う問題を6割、知識を問う問題を4割とした。前者は記述・論述式とし、後者は空所補充・短答式とした。 

 

5.2 データ収集

 学生の言語不安の変容を調べるために、10項目からなる多肢選択式のアンケート用紙をGoogle formで作成した。10項目は, Yashima, Noels, Shizuka, Takeuchi, Yamane, & Yoshizawa(2009)の中から本実践参加者の実情に合い優先順位が高いと思われる項目を利用した。表2にその10項目を示した。この項目それぞれに対し、学生は「強くそう思う」(6点) ~「全くそう思わない」(1点)の6件法で回答した。アンケートは初回と最終回の授業時に実施した(表1)。

 

      

5.3 結果

 授業登録者全40名中、事前と事後の両方のアンケート用紙に回答し、かつ欠席が3回を超えない学生を分析対象者とした。その結果、分析対象者は40名→35名(男子26名、女子9名)となった。表3に事前と事後の記述統計を示し, 図1にそれを可視化した。なお、最も不安の高い学生は60点(1項目6点×10項目)となる。続いて、授業前後で言語不安が統計的に有意に減少したかどうかを調べるために, 対応のあるt検定を行った。その結果、事後(1月)に学生の言語不安は有意に減少 (t = 4.54, df = 34, p = 6.756e-05) した。また、効果量も.486と中~大の大きさを示した。



     


 続いて, 10項目のどの項目に実際に変化がみられるかを調べるために, 各項目の記述統計を可視化した(図2)。そして, 項目ごとに対応のあるt検定を行った結果, 「直される」と「笑われる」を除いて, 8項目で言語不安が5%水準で有意に低下したことが示された**。今後は、生徒や学生の言語不安の実態と変容を長期的に深く観察し、それが英語力の向上や彼らの英語学習の動機付けとどのような関係にあるのかを調べ、彼らの言語習得を促す契機としたい。

                      

6 むすび

 global issueを題材としたCLIL授業で、学生の言語不安は低下した。この結果は, 半期という実質4か月週1回という頻度で、標準的な英語力 (TOEIC 400~550) の理系大学生の言語不安を低下させることができる点を示した点で意義が大きい。教室で英語を話したり聞いたりするのは、教室外、例えば海外のホテルや空港で英語を使用するのとは本質的に異なった心理的抵抗がある。それは、教師から評価されているというプレッシャーや,友人の目を気にする同調圧力かもしれない。してみると, 教室で英語を使ってコミュニケーションをはかることは, 彼ら自身の語彙力不足や統語知識の不足と相俟って、教師が思っている以上に彼らにとっては大変なことなのかもしれない。であるからこそ、日本人英語教師が自ら範を示し、上手い下手は別にして、一つのモデルを示してやることが彼らの背中を押してやることにつながるのではないだろうか。

 一方、私の言語不安は低下したのであろうか。答えは微妙である。未だに慣れないし、少し憂鬱な自分がいる。見栄っ張りの私がそれでも12年も続けてこられたのは,  自分が英語が上手いと自己暗示をかけるのが上手いか, 英語で教える緊張感と等価交換をしているか, 或いは, 母校の高校で自分自身と生徒たちに向き合わなかった償いをするためかのいずれか、その全てである。そして、もう一つ理由があるとすれば、それは, そうしたもろもろの想いが, 自分自身の英語の拙さゆえに教室では否応なく剥ぎ取られ, 生身の私が学生の前に晒されたとき, 少しだけ自分が成長したかなぁと思えることかもしれない。

 

*本稿は以下の拙稿を大幅に加筆・修正をした。

「あぁ、英語による英語の授業」Dialogue, 16 (2018), 11-16. TALK (田辺英語教育学研究会)

** 詳細な統計量は紙幅の都合で省略した


参考文献

Horwitz, E.K., Horwitz, M.B., & Cope, J. Foreign language classroom anxiety. The Modern Language Journal, 70, 125-132.

Yanagawa, K., & Johnson, S. (2021). Global issues in Action: Tasks that work. 東京:三修社

Yashima, T., Noels, K., Shizuka, T., Takeuchi, O., Yamane, S., & Yoshizawa, K. (2009). The interplay of classroom anxiety, intrinsic motivation, and gender in the Japanese EFL context. Journal of Foreign Language Education and Research, 17, 41-64.


和泉伸一 (2009). 『「フォーカス・オン・フォーム」を取り入れた新しい英語教育』東京:大修館

柳川浩三 (2017). 「CLIL型授業の実践-学習者はどう受けとめタスクは機能するか―」ARELE (Annual Review of English Language Education), 28, 319-334.

(やながわ こうぞう)