一般財団法人 英語教育協議会
ELEC(エレック)英語研修所
  1. 石田雅近先生との思い出 (追悼の記) 

石田雅近先生との思い出 (追悼の記) 

エッセイ2019.09.30

 

 阿野幸一(文教大学国際学部教授)


「阿野さん、今日もNHK?大変でしょ」

「NHKの仕事、何年もよく頑張るね。体に気をつけないと」

「これからはあなたたちのような若い方に活躍してもらわないとね」

2016年1月までの8年間の毎週金曜日、私は15時まで渋谷にあるNHK放送センターでラジオ講座『基礎英語』の収録をしていていました。収録が終わると、渋谷駅から山手線に乗って、高田馬場にある早稲田大学まで移動していました。非常勤講師として授業を担当しているためで、いつも急ぎ足で教育学部の講師室に駆け込んでいました。16時過ぎの時間帯です。ドアを開いて中へ入り、部屋の奥にある私のメールボックスのすぐ前のソファにいつも座っていたのが石田雅近先生。石田先生も早稲田大学で非常勤講師としてご勤務されており、ご担当されていた授業と授業の間の空き時間でした。毎週、私がひとことご挨拶をすると私の顔を見て、真っ先に言葉をかけていただいていました。メガネの奥からのぞく温かいまなざしと笑顔。NHKから急いで移動してきた私がはじめに言葉を交わすのが石田先生で、ラジオ収録から授業への切り替えとして、気持ちを和らげてくれていました。

石田先生は、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業の大先輩であり、日本の英語教育界をリードする研究者。そのような尊敬し、目標とする先生から毎週声をかけていただけることに、申し訳ない気持ちとともに、ありがたい思いでいっぱいでした。早稲田大学では、石田先生が英語教職課程科目の「英語科教育法1」と「英語科教育法2」をご担当されており、私が「英語科教育法3」を担当するという立場にあり、まさに石田先生の教えを引き継ぎ、教育実習や教員デビューに向けての学生指導のバトンを引きつがなければならないというプレッシャーのもと授業をしていました。

時には、授業開始ぎりぎりまで石田先生と同じソファに座り、大学での授業のこと、学習指導要領をはじめとする英語教育改革のことなどについてお話をする機会に恵まれ、私にとってまたとない学びの機会にもなりました。そして石田先生がご病気をされて一時授業をお休みし、復帰されたあとは、ご自身のご体調のことや私の体調までを気遣うお言葉などもいただき、公私にわたりお話をさせていただいたことが今でも思い出されます。

また、2009年度には早稲田大学の教員免許状更新講習を石田先生といっしょに担当させていただいたのもいい思い出となっています。石田先生の講座が8月5日に「日本の英語教育が目指すべき方向性」ということで現職の先生方をご指導され、翌日6日に私が「学習者中心の到達目標設定と指導計画」という内容でお話をさせていただきました。ここでも石田先生が総論として英語教育の目指すべき流れをお話されたことを受け、それをどのように毎日の授業で形にするかという各論についての講座を担当させていただくことで、バトンを引き継がせていただきました。一緒に講座を担当させていただくことが決まった際にも、「阿野さん、よろしく」とやさしいお言葉をいただいき、何とか大役を果たさなければという思いでした。

 石田先生との出会いは、私が埼玉県立高校教員をしていた20年以上前にさかのぼります。はじめは、石田先生が編集委員としてご執筆された東京書籍の教科書を使って授業をしていたため、石田雅近先生というお名前だけを存じ上げている程度でした。当時、オーラル・コミュニケーションA・B・Cという科目があり、この3科目とも担当していましたが、使用していたのが “Hello there!”(東京書籍)で、この科目では圧倒的なシェアを持つ教科書でした。その後、英語教育関係の雑誌や教科書会社が発行している情報誌などを通じてお写真を拝見したり、石田先生が書かれた文章を読ませていただいたりしていましたが、そこから先生の英語教育にかける思いを感じ取り、日々の英語授業について考えるきっかけをいただいていました。

その後、ご縁があって私自身も東京書籍の高校教科書編集委員を務めさせていただくことになりました。執筆にあたる教科書のチームは違っていましたが、教科書関連の委員会などさまざまなところでご一緒させていただくことがありました。石田先生がまとめ役をされている英語教員のためのセミナーでお話をさせていただくなど、いろいろな研修会でもお声がけをいただき、ご一緒させていただきました。こうした会の終了後の懇親会、さらには少人数での二次会のような場所で、石田先生のあたたかなお人柄に触れ、そして私たちのような若輩者を育てていこうという思いを感じることができたことで、自分も英語教育界で頑張ろうという気持ちをより強くさせていただきました。ご病気でご静養された時期以降、こうした会でご一緒する機会は少なくなりましたが、ご復帰後には、早稲田大学の講師室に入ると、以前と変わらぬお元気な石田先生の姿を拝見し、お話ができることを心から楽しみにしていました。

現在、私はNHK高校講座『コミュニケーション英語Ⅰ』を担当させていただいていますが、私がこの番組にかかわらせていただく以前に、石田先生が同じNHK高校講座の『英語Ⅱ』『コミュニケーション英語Ⅱ』の講師をされていたことも、私にとって単なる偶然と思うことはできませんでした。石田先生が作られた伝統を引き継がなければならないという気持ちを新たにし、頑張ろうという思いを抱きました。

 石田先生の英語教育に関する数々のご業績、そして誰からも慕われ、愛されるお人柄から、いくつもの学会でも重責を担われてきました。2006年に大学英語教育学会(JACET)関東支部が発足しましたが、石田先生は初代関東支部長として、支部創設に向けての様々な業務や、第一回支部大会の開始に向けての準備など、多くの会員を抱える組織においてリーダーシップを発揮されました。当時は私もJACET関東支部大会の大会委員をさせていただいていたため、学会運営についても石田先生から多くのことを学ばせていただきました。JACETは大学教員を中心とする研究者の学会です。石田先生は、こうした日本の英語教育で最大規模であり、言語教育の理論を中心とする学術的な学会でご活躍する一方、中学校や高等学校の英語教員の指導力向上のためにも多方面から情熱を注がれていらっしゃいました。それは、現場の教員が多数集まるELEC同友会の会長を務められていらっしゃったことからもわかります。会長として大きな組織をまとめるにとどまらず、300人規模で現職教員や英語教員を目指す学生が集まるELEC同友会の研究大会やワークショップのために、本務校である清泉女子大学を継続的に会場としてご提供され、会場校の委員として、石田先生自ら奔走していらっしゃいました。石田先生なくしては、あれだけ大きな研究大会を軌道に乗せ、開催することは不可能だったのではないかと思います。このように、理論と実践の両面から第一線で日本の英語教育のために貢献なさった研究者は、それほど多くはいないのではないかと思います。

70歳でご定年を迎えられて以降、直接石田先生にお目にかかることはなくなってしまいました。金曜日に早稲田大学教育学部の講師室に入り、石田先生がいらっしゃらなくなったソファを見るのはさみしい気持ちでしたが、またいつか元気な石田先生と談笑し、私の近況報告などもさせていただければと考えていました。そのように考えているさなか、2019年5月15日に学会のメーリングリストで「訃報」というタイトルの連絡が入りました。メールを開くと、石田先生が5月12日にご逝去されたとのこと。言葉を失いました。このようなことになるのであれば、早く石田先生にお会いしておくべきだったという後悔の気持ちでいっぱいになりました。そして、先生のご遺志で献体を希望されていたため、葬儀や告別式も行わないとのこと。石田先生らしいご決断と思いながら、石田先生との思い出が頭の中から離れない日々が続きました。今でも先生の笑顔が脳裏に焼きついています。

ここに生前のご指導に心から感謝するとともに、哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

(あの こういち)

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