戦前の高等女学校や旧制中学校における英語教育は、日本の英語教育史の重要な一環です。これらの教育機関では、英語が必須科目として取り扱われていましたが、その目的やアプローチは現在とどう異なっていたのでしょうか。それぞれまとめてみました。
1. 教育制度と英語教育の背景
- 高等女学校:高等女学校は明治時代に設立され、主に女子生徒に一般教養や家政学、道徳などを教える場でした。英語は教養科目として位置づけられ、主に読解力の育成を目的としていましたが、男子の教育機関に比べてその重要性は低く、実用性よりも形式的な知識として扱われる傾向が強かったように思います。
- 旧制中学:一方、旧制中学は男子を対象とし、旧制高校や大学進学を視野に入れた学問的な教育が重視されました。英語は主要科目の一つとして扱われ、特に読解力や文法の学習が重視されました。この時期の英語教育は、欧米の文献を理解し、日本の国際的な地位を高めるための知識として位置づけられていました。
2. 教授法と教材
- 教授法は、当時の主流であった「文法訳読法」が中心でした。この方法は、英語の文法規則や構文を理解し、英語の文章を日本語に訳すことに重点を置いていました。実際に英語を話すことや聞くことはあまり重視されず、読解力の育成が主な目的でした。
- 教材は、多くの場合、欧米の文学作品や教科書を使用していました。中でも、シェイクスピアやディケンズなどの古典文学がよく取り扱われました。文法の習得や長文の読解が中心で、英語を使った実践的なコミュニケーション能力を高めるための授業はほとんど行われていなかったようです。
3. 戦前の英語教育の目的
- 戦前の英語教育の目的は、現代と比べて実用的な英語の習得ではなく、むしろ知識人としての教養や西洋の思想や文化を理解するためのものでした。特に国際的な舞台での交渉やビジネスのための言語というよりも、国家の近代化や欧米文化を理解するための学問として英語が教えられていたとうのがこの時代らしさを感じます。
4. 戦争の影響は英語教育にどうもたらしたか
- 戦時中は、英語は「敵国の言語」と見なされ、英語教育が抑制されました。1930年代後半から1940年代にかけては、日本国内でのナショナリズムの高まりにより、英語の授業時間が削減され、場合によっては中止されることもありました。また、英語教師や英語教材も敵性語として排除されることが多くなりました。
5. 英語教育は戦後、どのようにかわっていったか
- 戦後、日本が国際社会に再び加わる過程で、英語教育は復興され、特にアメリカの影響のもとで重要性を増しました。戦前の英語教育における文法重視の教育から、徐々に実践的な英語運用能力を養成する方向へと転換していきました。
これらのことから、戦前の高等女学校や旧制中学の英語教育は、教養や文法中心のもので、現代の実践的な言語運用能力を重視するアプローチとは大きく異なっていたことがわかります。