[異文化交流の開拓者たち] 第5回「ペリーを論破した男」

 1854年、幕府は再び来航したペリーとの外交交渉を通じて日米和親条約を結んだ。このとき幕府はどのような交渉をしたのか。9隻の軍艦に威圧されて相手の言いなりになってしまったのだろうか。

 条約交渉を担当する応接掛の首席に任命されたのは林大学頭である。儒学者林羅山から数えて林家の第11代目で、幕府直轄の昌平坂学問所の塾頭として官吏養成の責任を担っていた。

 最初の課題は交渉の場を設定することであった。アメリカ側は江戸を主張し、日本側は「江戸での応接は国法に反する」として、三浦半島の東部、江戸湾の湾口部に面する浦賀を主張した。これに対してアメリカ側は「それならば話し合いを止めざるをえない。我々は江戸へ乗り込み、談判する」と言って譲らない。困った日本側は、浦賀と江戸の中間にある横浜で会議をすることを提案し、これに双方が譲歩した形で合意した。

 会議の冒頭、ペリーは、「我が国は以前から人命尊重を第一として政策を進めてきた。しかしながら貴国は人命を尊重せず、日本近海の難破船も救助せず、海岸近くに寄れば発砲し、また日本へ漂着した外国人を罪人同様に扱い、投獄する。日本国人民を我が国人民が救助して送還しようにも受け取らない。自国人民をも見捨てるようにみえる。いかにも道義に反する行為である」と顔面を紅潮させながらはげしく日本側を批判した。そして「貴国の国政が今のままでは困る。多くの人命にかかわることであり、放置できない。国政を改めないならば国力を尽くして戦争に及び、雌雄を決する準備がある。我が国は隣国のメキシコと戦争をし、国都まで攻め取った。事と次第によっては貴国も同じようなことになりかねない」と声を荒げて脅した。

 これに対して林は次のように反論した。

「貴官の言うことは事実に反することが多い。伝聞の誤りにより、そのように思い込んでおられるようである。我が国は外国との交渉がないため、外国側で我が国の政治に疎いのはやむをえないが、我が国の政治は決して反道義的なものではない。我が国の人命尊重には世界に誇るべきものがある。この三百年にわたって太平の時代がつづいたのも人命尊重のためである。第二に、大洋で外国船の救助ができなかったのは大船の建造を禁止してきたためである。第三に、他国の船が我が国近辺で難破した場合、必要な薪水食料に十分の手当てをしてきた。他国の船を救助しないというのは事実に反し、漂着民を罪人同様に扱うというのも誤りである。漂着民は手厚く保護し、長崎に護送、オランダ商館長を通じて送還している。貴国民の場合も、すでに措置を講じて送還ずみである。不善の者が国法を犯した場合はしばらく拘留し、送還後にその国で処置させるようにしている。貴官が我が国の現状を良く考えれば疑念も氷解する。積年の遺恨もなく、戦争に及ぶ理由はない。とくと考えられたい」

 林の言葉に偽りはなかった。ペリーはしばらく考えて自説を取り下げた。

 そのあとペリーは通商問題を持ち出した。「では、交易の件は、なぜ承知されないのか。そもそも交易とは有無を通じ、大いに利益のあること、最近はどの国も交易が盛んである。それにより諸国が富強になっている。貴国も交易を開けば国益にかなう。ぜひそうされたい」というのである。これに対して、林はまたも反論した。

「交易が有無を通じ国益にかなうと言われたが、日本国においては自国の産物で十分に足りており、外国の品がなくても少しも事欠かない。したがって交易を開くことはできない。先に貴官は、第一に人命の尊重と船の救助と申された。それが実現すれば貴官の目的は達成されるはずである。交易は人命と関係ないではないか」

 ペリーはしばらく沈黙し、「もっともである。訪日の目的は申したとおり、人命尊重と難波船救助が最重要である。交易は国益にかなうが、確かに人命とは関係がない。交易の件は強いて主張しない」と述べて、通商要求も取り下げたのである。

 実は、前年に受け取ったアメリカ大統領の国書では、通商もペリー派遣の目的のひとつに挙げられていた。老中首座の阿部正弘は、もはや開国が避けられないとみて、英仏露ほどには威丈高ではないアメリカを相手に最初の外交交渉を行うことを決めたものの、国内事情を考えるとこの時点での通商の要求には応じたくはなかった。だがそれで先方が納得するかどうか。場合によっては、戦争を回避するためには通商要求を受け入れざるをえないかもしれないとも考えていた。それを林は、ペリーの発言をうまく逆手にとって日本側の方針を受け入れさせたのである。

 こうして結ばれた日米和親条約は、欧米諸国がそれ以外の国との間で対等の立場から平和的な交渉によって結んだはじめての条約となった。これに基づいて下田と箱館の開港が決まったが、交易を認める修好通商条約が結ばれるのはそれから4年後のことである。

(草原克豪)

■参考文献
加藤祐三『幕末外交と開国』(講談社学術文庫)